飄々と生きたい

あわただしく、せかせかと。それも人生。山頭火はへらへら、飄々。秋深まる。
星のとぶもの音もなし芋の上 青畝。
秋も段々深まってゆく。味覚の秋というけれど、男やもめにそんなゆとりはない。
ヘルパーさんが鍋一杯に作ってくれた薩摩汁の里芋に味が染みていて、うまくなっている。
『あなたは料理の味付けが上手になりましたね』と褒めるほど、おいしくなります。
『私の家では、とん汁と申します』と。大根と厚揚げと豚が入って、里芋もうまい。しかし、やはり大根であろうか。
九月も終わる。この夏は暑かった。体が弱ってしまったのか、寝る時間が多い。
朝はインスタントスープを無理に流し込んで、お昼は女の子に近く百貨店でお弁当を買ってきてもらう。
夜はコーヒーだから、一日一食。玉葱とベーコンを鍋で炒めてスープでも作ればよいのだが。
相撲は終わってしまって楽しみがない。来場所の日馬富士の横綱姿に期待をかける。
寝ながらラジオを聴いていると、時々落語が流れる。昔の寄席に出てきた名人の芸は、いまどきのお笑い芸人には真似できない。芸が磨かれていない。
原稿一本書くにも芸である。お客を笑わせればよいと思っているいまどきの芸人は、全く鍛錬が出来ていない。
山頭火は「踏みわける萩よすすきよ」。急ぐ旅でない。あてもなく彷徨う。「へらへら」である。
毎朝、通勤電車に乗る。誰一人と、へらへらとしている人はいない。あわただしく、せかせかと。それも人生、これも人生である。