身の程の怖さ
徳川家康の哲学は『身の程を知れ』である。
戦場での戦いも統治下の政治も、その奥底に流れていたのは、身の程を知ることだった。
『いったい、なに様だと思っているのか?』という言葉がある。
身の程を知れば自ずと謙虚になる。
易経の願象に「言語を慎み、飲食を節す」とある。頤は、「い」と読む。
易27番目。「山雷頤」。養うという意味。
安岡正篤先生は、欲望の問題とした。
卦は、上に山があり、下に雷である。あごをあらわしている。
満(みつる)は損を招き、謙は益を受く。これすなわち天の道なり。満は慢心でもある。謙は現在立つ自分の地位を保全するもの。
太閤さんの大阪城が、あっけなく落城したのは、豊臣秀吉の「身の程を知る」ことを忘れた結果である。
平家二代で終わったのも源氏三代で終わったのも、平家の六波羅政権、源氏の鎌倉幕府も、やはり身の程を知らなかったからである。
まして織田信長一代のあっけなさ。
バブル期に、体育館のような相場ディーリング・ルームをつくった証券会社が、アッという間に潰れた。
これなども、相場に対して、なんでもできるという身の程を知らない結果といえよう。
企業でも、どんなに儲けていても、経営者が身の程を知らなければ会社は潰れる。
従業員に対して。お客様や株主、取引先に対して。世間様に対して。少しでも傲慢さが見えてきたら危ない。
これ即ち天の道。道理であるから、変わることはないが、人間、ついおごり高ぶると踏みはずしてしまう。
だから世の中は、うまくまわっていく。落ちるものはちゃんと落ちてくれる。
これは「傲慢」というお薬のせいである。昔の朝廷の位い打ちという政略も、人間の傲慢さを引き出す方法。
2005年8月記