時間と質の量
『事あればありて驚き、事なくば事なきまま疲るる心』川口梢。
人間の満足は嬉しさと楽しさである。
不満は悲しみと、苦しみ。
人間の五情は喜・欲・怒・哀。
怒は、持続すると「怨」になる。たいがい怒は突発的であり、興奮的なもの。
この「怒」も正義感に根ざして道徳的様相となれば「憤」になる。
憤=いきどおり。現代人はあまり「いきどおり」を持たなくなった。
正義感も、道徳感も薄れたからであろう。
人間は、愛憎の対象があまりに大きくなると、それは「畏れ」か「諦め」にかわってしまう。自分の手におえん。
悲しみを、押しつぶしたら憂いになる。感情の抑圧現象である。
これが「歎き」に展開していくこともある。
深い悲しみは、歎きにまで発展しないで、悲しみのまま抱いていることも多い。
憂いとか、歎きは、悲しみが進化していく状況。
寂び、詫びは日本人の持つ精神生活で、欠如性、なにか足りないものを楽しむ。
自分の行為や、心に持っているものが、憎むべきものと感じた時に「恥」の感情となり、恥が持続して変化していくと「卑屈」が生じる。
「羨ましい」は自分が持っていないものが、他者の持ちもので、それが愛すべきものである場合に思う。
「羨ましい」が、妬(ねた)みになるのは、そこに競争心が介入するからで、妬みは憎にかわる。嫉妬(しっと)。
人の心が、どのように変化していくのか。
それは「時間」と質の「量」にもよる。
このことは、相場にもあてはまる。
相場は「人の気」と「時の量」である。
2005年8月記