おごりて亡びざる者なし
人生で、天井(登りつめて頭打ち)打つのは、どうしようもない。
亢龍の悔というのが、栄耀栄華の果ては栄枯盛衰常ならず。
古来から、それは言われている。
のぼりつめるのも運勢である。落ちるために昇るのではないが、勢い出し尽くすべからずといっても、勝手に勢いがついてしまう。
満つれば、すなわちくつがえる。それは判っているが、勝手に運勢の満つる時は、ひたひたと、いいことばかりが続く。
だから、足るを知る者は富者なりという。
足るを、どの時点で知るかである。盛衰の理は天命。
人生の無常については多くを言い尽くされてきた。
栄華は暫時の事と。
おごりて、亡びざる者は、いまだこれに非ずるなり。
判っているのである。
しかし、最盛期、黄金時代は、「まだまだ」と思う。
相場のほうでは「まだ」は「もう」なりと教える。
禍と福は門を同じく利と害は隣をなす。
禍いは、足ることを知らざるより大なるはなし。
国家でも、企業でも、個人でも、スポーツのチームでも、それは、すべてに通じる。
だから、「諸行無常」病僧の病舎の四隅にかけられている鐘が、病僧まさに死なんとする時に鐘が鳴る。
祇園精舎の鐘である。
人生の天井は、打つべくして打つが、長い人生の大底も、打つべくして打つ。
底が入れば、自然に出直る。これも勝手に運勢が好転していく。
そのためには、下降している時は従容と、運命に逆らわない。
それが天地自然の理である。
この事が判ると、自ずと先が読めてくる。
2007年6月記