風林火山のニコニコ相場様 2023年9月19日

人生に理屈はいらん

俳句で思慮分別的なものや人生観みたいなものを詠むのは、全部理屈で、俳句とはいえない、と森澄雄さんがいう。

森さんは大正8年生まれ。俳誌「杉」創刊主宰。恩賜賞や芸術院賞、蛇笏賞、毎日芸術賞受賞、日本芸術院会員。

『今の俳句は俳句でない理屈ばかりだ』と、いつも言っている。

賢いと物が見えない。自分を捨てなければ外の声が聞こえない。

池田俊二さん(俳人協会会員)は『日本語を知らない俳人たち』(PHP研究)で、大新聞の俳句選者たちの日本語を知らない惨状を憂いている。

大新聞の選者といえば権威である。その人たちが日本語を知らない。賢いから物が見えなくなる。

いまは、心がない俳句ばかり多い。どうした、こうした、理屈で生きている日本人たちである。

江戸時代の名のある俳人の句には、絶対、理屈がない。そして大きい。

やはり時代の変化、生活からの人生観の変化である。

『分別的な人生観みたいなものは、全部理屈』と森澄雄さんに言われると、それが俳句の世界でない世界にもいえるから怖い。

室生寺に空海さんの「煩悩測菩薩。生死即涅槃」という境地が大きな石に彫られている。

菩薩とは悟りの境地。煩悩が、そのまま悟りになる。こだわらず自然のままでいいわけだ。

人生に理屈をこねてもなんの意味もない。なまじ人生観など説いて、それは、なんだ、となろう。

相場の強弱でも理屈ばかりである。材料を並べればいいというものではない。

ああだったから、こうなった。

それで、そのあと、どうなるのか。説明と言いわけと理屈が相場記事になった時代ともいえる。

相場記事にも心があるべきである。ファンドにも心がある。コンピュータには心がないが、入力データには人間の心が入っているはず。

2005年8月記